石屋のないしょ話

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吉野太夫花供養

やっと桜も咲いてきました。 皆さんはどこにお花見に行きますか? 今月は18日に常照寺で行なわれる「吉野太夫花供養」についてお話します。 

赤い着物に華やかな内掛を着て、「心」の字のように帯を結び、「立兵庫たてひょうご」に結った髪に鼈甲の櫛と八本の笄、花かんざしを挿した太夫が、禿かむろ二人と傘持ちを従えて三枚歯の黒塗りの高下駄を履き「内八文字」と呼ばれる独特の足さばきで道中するその優美な姿に、見物客からは溜め息のような歓声があがります。

島原の名妓二代目吉野太夫(一六○六~四三)ゆかりの常照寺では、毎年四月の第三日曜日に吉野太夫を偲ぶ「花供養」が行なわれます。 太夫は、公家の遊女として、正五位を授けられていました。 和歌・唄・踊り・茶・聞香、また囲碁や双六・貝合わせなど諸芸が巧みで容姿端麗、人品も優れた最上の妓女でした。 吉野太夫は禿の頃から容色に優れ、教養が高く、諸芸にも天分を発揮していたといわれています。 熱心な法華経の信者であった吉野太夫は、常照寺の日乾上人に帰依をして、山門を寄進するほどでした。 これが朱色も鮮やかな「吉野門」として常照寺に残されています。 そして和歌や茶の湯に造詣の深い教養人の京都の豪商佐野(灰屋)紹益に身請けされます。 この結婚は周囲に反対され、勘当された紹益と貧しい生活を送った後、本阿弥光悦のとりなしで佐野屋に戻りましたが、吉野は寛永二十年に亡くなりました。 

花供養では、常照寺近くの源光庵から太夫道中を披露した後、太夫の墓前で舞を捧げ、境内では野点も行なわれます。

石屋のないしょ話でした・・・。