石屋のないしょ話

  • 石屋のないしょ話

日本初の水力発電所

 

我が国最初の水力発電所は、京都市東山区粟田口に現存する蹴上発電所です。

第一期琵琶湖疏水建設の付帯事業として、明治23(1890)年1月に起工し、翌24年11月に発電を開始しました。琵琶湖疏水は、滋賀県大津市三保ヶ崎の取水口から山科を経て、蹴上で市内に通じる運河です。明治初期における京都近代化政策の最大の基幹事業として、京都府第3代知事北垣国道が計画し、工部大学校(東京)卒業直後の田辺朔郎が設計と工事を担当しました。

 

 

運河や水力の利用状況を調べるために、明治21年10月、田辺朔郎は北垣知事の命を受けてアメリカに渡りました。そこでコロラド州アスペンの水力発電を視察し、翌年帰国して蹴上発電所の建設に着手しました。

この発電所は、蹴上付近で高度差が生じた運河の間を、インクラインで舟を上下させるのに必要な電力を供給するためのものでした。

京都の電気事業は、すでに明治20年に京都電灯会社が設立され、外国製機会を使用した火力発電により同22年には営業を開始していましたが、送電時間が短いうえに料金が高く、普及しませんでした。そこで、3年後に蹴上発電所の水力発電所の水力電気に切り替え、電灯料値下げに成功してから普及することとなったのです。

また、明治28年2月には京都電気鉄道会社により、我が国初の市電が塩小路高倉・伏見下油掛町間に開通した際、この発電所の電力が利用されています。

その後、電力需要の増大に伴い、第2次疏水工事と並行して明治45年に第2期発電所が増設されました。

現在は、第1期発電所の姿は失われていますが、第2期発電所の赤煉瓦造りの建物は京都大学が研究施設として利用し、発電所は関西電力が保有しています。

 

ご参考までに・・・。