石屋のないしょ話

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京のお茶漬け

皆さんは「京のお茶漬け」をご存知でしょうか? 今月は、「京のお茶漬け」についてお話します。 京都の家を訪問し、帰り際に「そろそろ失礼します」と言うと家人から「お茶漬け一杯ぐらい食べていってください」と言われ、そのとおりに食べて帰ったら「図々しい」などと陰口をたたく京都人を皮肉に表現している「京のお茶漬け」ですが、本当は「私はあなたとまだお話していたい」という意味であり、そう思うほど楽しい時間を過ごせて良かったという親愛の情を表現した言葉なのです。 「失礼します」という言葉に対して「そうですか」と答えるのが普通かもしれませんが、それではあまりにも味気ないと感じられませんか? それに、そう簡単に言ってしまうといかにも早く帰ってほしいと願っていたように受け取られては大変だと、京都人は気を遣いなんとか引きとめようとするのです。 本当に「さようなら」を言うまで、しつこいまでのやりとりでコミュニケーションをはかり、より親密なお付き合いをしてきたのです。

有名なこの「京のお茶漬け」というのは、会話の一つの流れであり、せっかくの和やかな雰囲気を断ち切らないように余韻を持ってお別れするためのもので、お客様を不愉快な気持ちにさせずお帰りいただくための心温まる言葉なのです。 最近は誤解が誤解を生んで、「そろそろ時間ですからお帰り下さい」という時に、京都人が使用する言葉だと解釈されているようです。 いつの間にか言葉が一人歩きしてしまったのでしょう。 よほど無礼な人にはそういう意味で使うことがあるかもしれませんが、実際にはそのような悪意を持って使われることは決してありません。 「お茶漬け一杯・・・」と言う相手は、もうすでにお料理をお出ししているような大切なお客様なのですから。 家人がそう言って本当にお茶漬けを準備されていることもあり、そのお茶漬けを有難く頂いて帰るのがお作法の場合もあるのです。 心にもないことを平気で言う京都人の“いやらしさ”や“いけずなところ”や“二面性”など悪いイメージだけが広まってしまいましたが、この言葉は京都人の奥床しさの代名詞ではないでしょうか?

転居通知というものをご存知だと思いますが、そこには必ず「お近くにお越しの際は是非一度お立ち寄り下さい。」と記されています。 でも、いくらこのように書かれていてもそんなに親しくもない人のお家を、近くに来たからと言って訪問されることはないでしょう。 社交辞令的なものが全ていけないとは思えません。

石屋のないしょ話でした・・・。