石屋のないしょ話

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坂本龍馬

明治維新の立役者・坂本龍馬のお墓は、龍馬の生まれ故郷の高知県にあると思っている人も多いかもしれませんが、実は京都にあります。 東山の麓・高台寺脇にある「維新の道」を登りきった所に京都霊山護国神社があり、霊山の中腹に土佐藩の同志・中岡慎太郎のお墓と並んで建てられています。 余談ですが、弊社が加入している日本石材産業協会京都支部も、坂本龍馬にゆかりのある地に石碑を寄贈しています。 今月は、なぜ土佐出身の龍馬のお墓が京都にあるのかお話します。 

京都の霊山護国神社にお墓があるのは、この神社が明治天皇により新国家建設のために奮闘し、維新を前に倒れた兵士たちの御霊を祀るために神社を創建せよとの詔が発せられたからです。 いわば、日本初の天皇による招魂社です。 龍馬と中岡慎太郎のほか、木戸孝允・久坂玄瑞・吉村寅太郎・武市半平太など一三○○名を超える幕末勤皇の兵士たちの霊が祀られています。 明治以降は、日清日露戦争・太平洋戦争などの戦没者を合わせ約七万三○○○柱が奉祀されました。

霊山護国神社は、東京に招魂社として靖国神社が創建されても、国費で祭祀・管理が行われてきました。 しかし終戦後は国費祭祀ができなくなり、人々からも忘れられ、すっかり荒廃してしまいました。 明治一○○年に当たる一九六八(昭和四三)年、維新の志士たちのお墓が荒廃しているのを憂えた松下幸之助氏が、関西財界人に協力を求めて霊山顕彰会を設立しました。 霊山護国神社の復興と歴史的風土の保全と維持、日本の伝統精神の継承と振興を目指そうとしたのです。 そして神社の前に幕末維新ミュージアム・霊山歴史館を設立し、激動の幕末と明治維新の史料収集と展示、研究を行うようになりました。 歴史館内には、坂本龍馬にまつわる史料が収められ、龍馬を斬ったとされる刀も残されています。 つまり、龍馬のお墓が荒れ果てるのを忍びなく思った松下幸之助氏が、龍馬のお墓の前に、お墓を守るための施設を設け、顕彰会を作り、今も保全に努めているというわけです。 現在、龍馬の命日である十一月十五日には、毎年お墓の前で慰霊祭が盛大に催されています。 龍馬のお墓の脇には龍馬と中岡慎太郎の像が並び、その像の前からは京都市街が一望できます。 京都を見続けているこの二人は、今の京都ひいては日本に何を思うのでしょうか?

石屋のないしょ話でした・・・。