石屋のないしょ話

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千灯供養

毎日暑い日が続きますが、皆さん夏バテなど大丈夫でしょうか?今月は二十三・二十四日に化野念仏寺で行なわれる「千灯供養」についてお話します。 

嵯峨小倉山麓の化野あだしのの地は、東山の鳥辺野・船岡山の蓮台野とともに、古くから葬送の地として知られていました。 化野の「あだし(徒し・空し)」という言葉には、空しい・儚いという意味があります。 また「化」の字は、「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ることや、極楽浄土へ往生する願いなどを意図しているといわれています。 

化野念仏寺の創建は、弘法大師空海が弘仁年間(八一○~二四)に五智山如来寺をひらいて風葬により野晒しとなっていた遺骸を集めて葬ったのがはじまりとされ、鎌倉時代初期に法然が念仏道場としてより現在にいたる浄土宗のお寺です。 このお寺に入ると、境内にひしめくように立つ八千体もの石仏・石塔に驚かれるでしょう。 これらはかつて、この地に葬られた人々のお墓でしたが、長い年月の果てに無縁仏として散乱していたものを、明治の中頃に地元の人たちによってこのお寺に集められたのです。 賽の河原の模して「西院さいの河原」とよばれています。

「千灯供養」は二十三・二十四日の二日間、この西院の河原で無数のロウソクが灯され、供養されます。 ロウソクが少し秋めいてきた風に吹かれてゆらめき、石仏がその中に浮かび上がる・・・そんな幻想的な風景の中に静かに祈る人々の後姿があるのです。

石屋のないしょ話でした・・・。