石屋のないしょ話

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除夜の鐘

明けましておめでとうございます。 今年もgood-stoneを宜しくお願い致します。 2004年一回目の《石屋のないしょ話》は、皆さんが大晦日に耳にした除夜の鐘についてお話します。 

「除夜」は一年を除くという意味で、ご先祖様をまつり家族が一年間無事に過ごせたことに対して感謝の宴をひらき、夜を通して人々が過ぎゆく年を惜しむということでこの夜を過ごす・・・と昔の本に記されています。 近頃では年末年始の休みを利用して旅行に行ったりする人が増えてきたようですが、ご先祖様への感謝が忘れられているのは悲しいことです。 自分たちのことばかりしか考えられなくなって、直接目に見えないものに対する感謝の心がなくなったとき、幸せは長続きしないのではないでしょうか? お正月もお盆と同様、ご先祖様をまつるときであることを忘れないようにして下さい。 

ところで皆さんは除夜の鐘がなぜ百八つなのか、ご存知ですか? 百八つの鐘がつかれるのは、人間の迷い・欲望(煩悩)が百八つ数えられるから、それを一つ一つ打ち消し、浄めるためだといわれています。 人間の煩悩を百八つに数える数え方は『感覚と心の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)と、それによって感覚され、思考される対象となる六塵(色・声・香・味・触・法)、この六根と六塵が関係しあったとき、そこに好・悪・平(良くも悪くもない)という三種の関係が考えられるから、六×三の十八種の「迷い」がある。 そしてこの十八種にそれぞれ染(迷い)と浄(迷いのない状態)の二つがあるから、十八×二で三十六種となる。 この三十六にそれぞれ過去・現在・未来の三種があるので、合計すると百八になる』という説や、『眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に苦・楽・捨(苦楽に関わらない)の三受(心の働き)があって十八。また六根に好・悪・平の三種があって十八、合して三十六種となり、これに過去・現在・未来の三世がそれぞれにあるから乗じて百八となる』という説があります。

これらの説は、人間の心の迷いを三世にわたって数えあげたものですが、この他に百八の数は、一年の十二ヶ月と二十四気・立春・立夏・七十二候の数に応じるという説もあります。いずれにしても来たし方を反省し、これから迎える新しい年に気持ちを引き締めてゆく一つの節として、古人は素晴らしいものを残してくれたのではないでしょうか?

石屋のないしょ話でした・・・。