仏事Q&A

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「我慢」とは、どういう意味ですか?

仏教修行の一つに「無言の行」という修行があります。この行は、ある一定期間一言も喋らないという我慢の修業です。

 

無言を通すことは難しいものです。しかし、我慢を通してやり遂げても、あまり褒められたものではないようです。なぜなら、成功者は無言を通すという我慢にとらわれ、驕り高ぶりの心を持ってしまうからです。

 

そもそも仏教では、我慢はしてはいけないと説きます。我慢とは、自己中心的な心、ここに我ありと驕り高ぶる心、我は永遠なりと勘違いする心のことです。

 

現代の私たちは多くの我慢を強いられています。また、幼い頃から「我慢しなさい」と言われ続けて育っています。まるで我慢することが美徳であるかのように。

 

しかし、本当に我慢はいいことなのでしょうか?「我慢しなさい」という言葉の奥には、自分の都合が優先されてはいないでしょうか?「私たちも我慢してきたのだから、あなたたちも我慢するのは当然」という驕り高ぶった気持ちはないでしょうか?

あるいは、「我慢している自分」に自己満足してはいないでしょうか?

 

我慢はしてはいけません。主張すべきは主張し、よく話し合って協調し、納得することが大切です。

無言の行は、言葉の大切さ、また言葉以外で伝わるものがあることを教えています。そして何よりも「我慢することにとらわれてはいけない」ということを教えているのです。