仏事Q&A

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廓然無聖(かくねんむしょう)とは、どういう意味ですか?

禅宗の初祖・達磨大師がインドから中国を訪れた時、国を治めていた仏教好きの武帝とのやりとりに出てくる言葉です。

 

武帝が「私はこれまでお寺を作り、お経を写させたりしながら僧を育ててきたが、どんな功徳があるのでしょうか?」と聞くと、達磨大師は「功徳などありません。」と答えました。

 

さらに武帝が「それならば仏教の大切な真理とは何か?」と聞くと、達磨大師は「廓然無聖」と答えたといいます。

功徳を求めようとしては本当の功徳にならず、そのようなことにとらわれないことが大切である、ということです。

 

私たちは、お参りするとどうしても御利益を求めてしまいます。

どうか希望する学校に受かりますように、良い会社に入れますように等々・・・。

わらにもすがる思いの祈願ですから、御利益を求めるのは当然のことかもしれません。 しかし、逆説的ですが、合格したいという自我が煩悩を招くのです。

それを戒めているのが「廓然無聖」です。

 

無心になるのは簡単ではありません。