- 仏事Q&A
「意地を張る」とはどういう意味ですか?
仏教では、人間の働きを「眼によるもの、耳によるもの、鼻によるもの、舌によるもの、身体の接触によるもの」の五種類にわけます。
これを「五蘊」といいます。
眼・耳・鼻・舌・身体の働き自体には、善も悪もありません。 しかし、ここに思いが入ると「善」「悪」「どちらでもない」という感情が生まれます。 見たい見たくない、聞きたい聞きたくない、いい匂い嫌な匂い、いい味悪い味、触れたい触れたくない、または何とも思わない、という欲が生じるのです。 その欲を生じさせる元である思いのことを「意地」といいます。 意地は五蘊を支配しているのです。
仏教修行者は、この五蘊を欲の支配から解放しようとします。 見たい、聞きたい、嗅ぎたい、味わいたい、触れたいという欲をコントロールするのです。 つまり、五蘊を支配している意地を支配するのです。 ですから、修行中にうまく意地がコントロールできると「今の意地はいい」となりますし、意地がうまく扱えないと「意地が悪い」となるのです。
意地を張って頑張るのもいいことでしょう。 しかし、意地を張るならいい意地を張ってほしいものです。 自分の意見だけに固執せず気持ちをコントロールできるように意地を張れるといいですね。 くれぐれも意地の張りすぎにはご注意ください。 眼も耳も鼻も舌も身体も疲れますから・・・。