仏事Q&A

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枕元に刃物を置いたり、屏風を逆さまにするのはなぜですか?

最近、死亡の認定を心臓が止まったときとするか、脳死のときとするかが大きな問題となっていますが、昔の人は仮死状態と死とを今のように科学的に判別することができませんでしたから、息を引き取ってある時間を経過してから死と認めていました。 人間には霊魂があって、霊魂が肉体を離れたときに仮死状態となり、そのまま帰ってこなければ死となるわけです。 したがって、息を引き取ったあとでもすぐに死んだものとはせず、なんらかの方法で魂を呼び戻し、蘇生させようとしました。 枕元で大声で呼びかけるのも、近親の者が口に水を含ませる「死水」も、魂を呼び戻すための手段でありました。 

また、ふだん愛着を持っていた着物を遺体にかけるのも、着物についている“念”を利用して魂を呼び戻そうとするためだといわれています。 野辺送りのとき、棺に着物をかけるのはその着物によって亡き人の魂を墓地まで導いていくという意味だそうですが、現在は告別式のあと、葬儀社の人が金襴の布で棺を覆って霊柩車に運んでしまいますが、これでは魂を呼ぶという意味がなくなってしまうといえましょう。 

戦前にはお棺に白布(裕福な家は羽二重・一般的には晒)を巻き、その布の端を近親の人が持って墓地まで送っていったようですが、これは「善の綱」といって、亡くなられた人との結びつきを表すものであるといわれています。 遺体を白布で巻くことについては、お釈迦様がお亡くなりになったときも、その遺体を十重・二十重・五百重の白布で巻いて柩に納めたということが経典に記されていますし、現在でもインドでは、遺体を運ぶときは白布で巻き、竹の担架に乗せて担いでいきます。 

遺体のまわりに屏風を立て、枕元に刃物を置くのは、遺骸に他の邪霊や悪霊が入り込むことを防ぐためだといわれています。 いったん息を引き取っても再び魂が戻ってくるようにと「魂よばい」をするわけですから、このとき他の霊に入り込まれては困るわけです。 とくに、非業の死を遂げたり、祀りや供養をしてもらえない霊は、祖霊とも融合できず、いつもうろうろしていて隙があれば魂の抜ける遺骸に乗り移って霊肉そろった人間に戻ろうとしているといわれています。 この迷っている魂が、現実の動物の姿となったものが猫だといわれています。 愛猫家にとっては聞き捨てならない話ですが、ここから猫は魔性のものとされ、とくに不幸のときなどは遠ざけられます。 猫が遺骸の胸の上を飛び越えたりすると、猫魂が遺骸の中に入り込んでしまうということから、猫を近づけないために屏風を立てるというわけです。 また、枕元に刃物を置いたり、埋葬した土の上に鎌をたてるという風習も、猫を近づけないためだといわれています。 しかし、枕元に刃物を置くのは武士が枕元に守刀を置いたことからはじまったという説もあります。 

屏風を逆さまにしたり、着物を左前に着せたり、全て日常と逆にするのは、死は平常なことではない、異常のことであることを示すためだといわれています。 しかし、わざわざ屏風を逆さまにし、着物を左前にしてまで死を異常のこととして悲しむ気持ちはよくわかるのですが、実は生を平常のこと、死を異常のことと分けるところから人間の全ての苦しみも始まっているのです。 何もかも、逆さまにしてしまいたいほどの悲しみを契機として、誰もが避けがたいこの悲しみを乗り越える道を求めていきたいものです。

ご参考までに・・・。