仏事Q&A

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お盆とお施餓鬼は違うのですか?

お盆(盂蘭盆会)に施餓鬼会をするところが多いので混同されがちですが、もともとこれらは別のものです。 お盆に色々なものを供養して七世の父母親族の冥福を祈るのに対して、お施餓鬼は、字のとおり餓鬼に施しをして寿命を延ばすためにするのです。

お釈迦様のお弟子に阿難尊者がいました。 ある時、阿難の前に口から火を吐いている餓鬼があらわれ、「お前の寿命はあと三日だけで、死んだら餓鬼になる。 もし助かりたければ、たくさんの餓鬼やバラモン、仙人に一人一石ずつ食べ物を施せ」と言いました。 阿難は、とてもそんなにたくさんの施しをすることができないので、お釈迦様におすがりすると、「この言葉を唱えて施しをすると、七石ずつ食べ物を施すことになる」と、呪文を教えられました。 それによって阿難は寿命を延ばして天寿をまっとうし、その後五十余年の間、お釈迦様にお仕えすることができたと伝えられています。 

この話に基づいて施餓鬼会が行われるのですが、盂蘭盆会にも餓鬼が登場してくるので、両者が一緒にされるようになったのです。 ですから、施餓鬼会はお盆の時と限らず、いつでも行ってよいものです。

我々は「ひと」の生命を食べて生きている餓鬼です。 米・野菜・魚・肉など、皆それぞれの命を奪って生きているのです。 人間は生きているかぎり、他の生き物の生命によって生きていかなければならないのですから、その分だけ立派に生きなければ、無駄死をさせたことになります。 人間だからといって、勝手にむやみやたらと他の生命を奪っていいわけはありません。 「消費は美徳」とばかりに使い捨てが平気でまかりとおっている現代ですが、これはまさに他の生命を無駄にむさぼる餓鬼のなかの餓鬼の姿です。 ものを大事にするということは、ものの生命を十分に生かすということなのです。 施餓鬼は、まず他人の生命を救うことによって、自分の生命が生きるということです。 言い換えれば、まず「ひと」を大事にしなさいということです。 施す心は自分を養う心だということです。

ご参考までに・・・。