- 石屋のないしょ話
気配り目配り
気配り・眼配り・耳配り。 これを日常生活の中でごく当たり前に行っている京都人は多いと思います。 自分には直接関係はなくても、まわりの会話を聞いていたり、眼をそそいでいたり、神経がいっていたりするのです。 京都人は日々の暮らしの中で、自分のまわりのいろんな出来事に神経を行き届かせているのです。 そしてそれが人として最も大切なことだと考えてきました。
このあたりのことをしっかり取得することができれば、京都ほど住みやすい地はありません。 しかし、これができなければ、京都人の中にはなかなか入り込めないのです。 また、京都人は「人のふり見て我がふり直せ」という言葉をよく使いますが、人々の言動をよく見聞きすることで自分の感性を高め、自分を磨いていくのです。
それに、また自分の立ち居振る舞いも、すべて人に見られているのだという意識を持つことも大切なことであると考え、それがひいては「京の着だおれ」の発想にもつながっていくのです。気配り・眼配り・耳配りは、決して人を批判するためのものではありません。 自分が人に迷惑をかけないために、また恥ずかしい振る舞いをしないために心得るもので、いわば自分を守るためのお作法なのです。
いつの時代にも都を守る必要があった京都人は、都を守ると同時に自分をも守ってきたのです。 お互いに神経を使い合うことから、洗練されたマナーが生まれるのです。
石屋のないしょ話でした・・・。