- 石屋のないしょ話
節分に自分の年齢の数だけ豆を食べるのは?
節分といえば今では「豆まき行事の日」のように思われていますが、本来の節分は季節の節目のことで、立春・立夏・立秋・立冬の前の日はすべて節分と呼ばれていました。つまり、節分は年に4回あったのです。ところが、そのうち立春がお正月とも近いことから重要視され、いつしか立春の前日だけが節分と呼ばれるようになりました。
節分には、春を迎えるために豆をまいて邪気をはらう風習がありますが、これは中国から伝わった「追儺」という儀式に由来します。
疫病や災害を打ち払うため、鬼の面をかぶった人を桃の弓や葦の矢で追う行事で、中国では大晦日に行われていました。これが、日本で行われていた行事と結びつき、現在の節分行事のスタイルへと変化したのです。
それにしても、中国の追儺に「豆」は出てこないのに、どうして日本の節分では豆をまくことになったのでしょうか?節分で豆をまく理由は、疫病や邪気にたとえた鬼を追い払うためですが、かつてはそれ以外の理由があったのです。
節分では豆をまいたあと、年齢の数だけ豆を食べる慣わしです。春が訪れたからといっても立春のころは依然として寒さが厳しく、季節の変わり目でもあるため体調を崩しやすいです。「畑の牛肉」ともいわれる大豆を食べて、たんぱく質を補給するという狙いもあったのです。
ご参考までに・・・。