石屋のないしょ話

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京野菜

京都には「京野菜」と呼ばれる伝統野菜とブランド野菜が多くあります。 聖護院大根・賀茂なす・堀川ごぼう・伏見とうがらし・壬生菜・鹿ケ谷かぼちゃ・・・など、他所では見られない京都独特の野菜が40種類以上あります。 どれも独特の形や品質を誇り、京料理に欠かせないものばかりです。 しかし、なぜ京都では独自の野菜づくりが行われてきたのでしょうか? 

京都では、平安京の昔から野菜が作られ始めました。 京都は周囲を山に囲まれた盆地であるため、夏が暑く、冬は底冷えがする寒冷な気候になり、野菜の栽培に適していました。 また、東・西・北方の山から花崗岩の風化した砂質土壌と粘土が堆積した土壌も野菜を育成させるのに好都合でした。 さらに、朝廷人や公家などが多かった京都では、高級な食材が求められました。 他所では、しだいに外来野菜が導入されるようになっていきましたが、京都は都が海から遠いため外来野菜が入らず、野菜栽培に力を入れたことと、朝廷や神社の神饌もの、寺院の精進料理などに用いられることが多いため、独自の京野菜が生み出されたといわれています。 

聖護院大根は、一般の大根より丸型で、愛宕郡聖護院の農家が育成しました。 聖護院かぶも愛宕郡聖護院の農家が享保年間に近江から持ち帰った種子を改良し、千枚漬けの材料としました。 丸型で、大きなものだと5キロにもなるそうです。 堀川ごぼうは、豊臣秀吉がつくった邸・聚楽第の堀で農民が作り始めたものです。 九条ねぎは、伏見稲荷大社が建立された711年、稲荷大社への神饌として栽培されたのが始まりで、九条地区で作られるようになりました。 鹿ケ谷かぼちゃは、文化年間に粟田口の農家が津軽から持ち帰って愛宕郡鹿ケ谷の農家に分けたのが始まりで、ひょうたん型の独特の形です。 このように、京野菜生産が京都で発展したのは、地理・気候・土壌などの条件がそろっていたことと、天皇や神社仏閣に献上するという役割があったためです。

石屋のないしょ話でした・・・。