石屋のないしょ話

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楊貴妃のひげ

皆さんご存知の通り、楊貴妃といえば中国唐代・第六代玄宗皇帝の妃で、クレオパトラ・小野小町と共に世界三大美女の一人として知られています。 しかし、あまりの美しさから玄宗皇帝が寵愛しすぎたため、安史の乱を引き起こし殺害されました。 今月はその楊貴妃が京都のお寺に祀られていることについてお話します。 

 

東山三十六峰の一つ月輪山の麓、東福寺の東側に佇む泉湧寺せんにゅうじに、楊貴妃観音像が祀られています。 泉湧寺は一二一八(建保六)年、月輪大師俊じょうの開山で大伽藍の造営をはじめ、一二に六(嘉禄二)年に完成させました。 その時、境内の一角から清水が湧き出たことから泉湧寺と名を付けたのです。 戒律を基本にして天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の道場として栄えました。 朝廷の新任が厚く、後鳥羽上皇・順徳上皇・後高倉院など歴代天皇・法皇が深く帰依され、御陵が置かれたので「御寺みてら」とも呼ばれるお寺です。

この泉湧寺に楊貴妃観音があり、しかもその観音像には口ひげがあるのです。 なぜ楊貴妃が京都のお寺に祀られているのか、この口ひげは何を表しているのか・・・?

楊貴妃を安史の乱で亡くした玄宗皇帝は、深く悲しみ、等身大の坐像で観音菩薩像を彫らせました。 その観音像は生けるが如く楊貴妃にそっくりだったといわれています。 一二五五(建長七)年、俊じょうの弟子の湛海律師が唐に渡ったとき、羅漢像などとともにこの像を託され、泉湧寺に安置したと伝えられています。 色鮮やかな彩色は衰えず、まるで楊貴妃が蘇ったようだと言われ、伏し目がちでふっくらした頬から口元にはこのうえなく気品があふれています。 口元に注目すると、唇の上下に口ひげが描かれているように見えます。 お寺の方曰く、参拝客の質問で一番多いのがこの口ひげについてだそうです。 実は、この口ひげのように見えるものは、慈悲を表す口の動きを表現したものだそうで、決して口ひげではありません。 この観音様は楊貴妃がモデルであるだけに、美人祈願・良縁祈願・結婚祈願などにご利益があると言われ、楊貴妃にあやかろうという女性に人気があるそうです。

石屋のないしょ話でした・・・。