石屋のないしょ話

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敷居のタブー

最近は洋室ばかりで和室がない家も多いため、和室での作法を知らずに育った方もいらっしゃるかもしれませんが、「敷居や畳の縁をふんではいけない」という言葉は耳にされたことがあると思います。 今月は敷居や畳の縁を踏むのがなぜタブーになったかをお話します。

かつての子供たちは「戸や障子などの敷居や畳の縁を踏むのは、親の顔を踏むようなものだ」と教えられ、和室を歩く時はうっかり踏まないように注意したものです。 こんなしきたりが生まれた理由は「境界」という概念で考えれば説明がつきます。 敷居は、部屋と部屋を区分けする境界の役割を果たしています。 なた、畳は「立って半畳、寝て一畳」といわれるように、一人の人間が暮らすための最小限の空間とされています。 そこから、畳の縁は一人一人に必要な空間を区分けする境界とも考えられます。 このような「境界」を重視する考え方は、日本だけのものではなく、世界に共通するもので、例えば二十世紀初めのフランスの民族学者A・フォン・ヘネップは『通過儀礼』の中で境界について、あちら側でもこちら側でもない、あいまいで不安定な場と記している。 そこから様々なタブーが設けられ、また通過する時には儀礼が必要と考えられるようになったといいます。 

我が国の身近な例では、橋のたもとや村はずれなどにお地蔵様が祀られているのも境界への恐れの表れといえるでしょう。 お地蔵様を祀ることで、境界が持つ危うさから逃れようとしたのです。 そういう境界に対する認識から、敷居や畳の縁も境界の一種と考えられるようになり、「踏んではいけない」というタブーが生まれたのです。 そのタブーを破ることは、家の秩序や格式を破壊することにもつながりかねません。 そこで、親の顔を持ち出して子供達に守らせようとしたのです。 また昔は、畳の縁に家紋を刺繍する家もあったそうです。 家紋を踏んではいけないという意味でも、畳の縁を踏むことをタブーにしたのです。

石屋のないしょ話でした・・・。