石屋のないしょ話

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清水の舞台

全国的に有名な「清水の舞台」。 今まで清水寺に参拝されたことがない人でも、大変な決意で物事をする時の覚悟のほどを“清水の舞台から飛び降りる”気持ちと表現することはご存知だと思います。 今月は、「清水の舞台」のいわれについてお話します。 

多くの修学旅行生が清水寺を参拝するのも、清水の舞台の高さを確かめにきているのかもしれません。 しかし、この「清水の舞台」のいわれについては様々な説があり、そのいずれの説もつまるところはご本尊である観音様のお守りいただき、そのお陰で死なないのだという、いわゆる観音信仰から発生したものなのです。 「宇治拾遺物語」の話を紹介しますと、ある若者が、ある日運悪く大勢の人間と斬り合いになり、清水の舞台に追い詰められ、もうどうしようもない、殺されるだけだと思い、すべてを観音様に預けて飛び降りたところ、不思議なことに死なずに助かったそうです。 こういった話がいくつもあるとのことですが、どれをとってもそこには京都人の信仰の深さがうかがわれます。 平成になってからも飛び降りた人が一人あったとのことですが、この人も信仰が篤かったのか助かられたそうです。 ちなみに清水の歴史が始まってから、六十人以上の人が飛び降りたらしいのですが、今までに亡くなられたのはご年配の一人だけだそうです。 

京都では、子供の頃から「観音さんは自分の前にいはって、お地蔵さんは後ろにいはる」と教えられて育った人がたくさんいます。 だからといって、清水寺に行き、一生懸命手を合わせて拝むわけではありません。 宗教というと何か絶対的なものととらえられがちですが、京都の宗教は少し違って、いわゆる生活の一部に信仰があるという感じなのです。 そんな中から生まれたこの「清水の舞台」の喩え。 現在では言葉だけが一人歩きしてしまいましたが、京都人の中に自然と溶け込んだ観音様を尊ぶ心がそこにしっかりと生き続けているのです。

石屋のないしょ話でした・・・。